鎮座地

   愛知県名古屋市中区丸の内2丁目3番37号

神社名

  • 東 照 宮(旧 県社)

祭 神

  • 贈正一位太政大臣 徳川家康公

例祭日

  • 4月16日・17日

創 建

  • 元和5年9月17日(1619年)

由 緒

社に奉斎する家康公は尾張徳川家中興の祖にして、名古屋の地を開き、城を築いて第九子義直公(尾張藩祖)を以て始めて居城せしめられ、名古屋開府の祖神にし恩神でもあります。

家康公逝去後三年即ち元和五年(1619)九月十七日に義直公は日光山鎮座の式に準じて、城郭内三の丸に社殿を創建し天台宗尊寿院並びに神主吉見公和氏を以て奉斎せられ社領一千石を附せられたが、廃藩と共に廃せられる、明治五年五月村社に列せられ、同年八月八日縣社に昇格、同九年十月舊藩立校明倫堂跡地即ち現在地に遷座される。

建物は、創建以来の権現造の本殿、渡殿、楼門、唐門、透塀、楽所、社務所等極彩色の国宝の諸建造物が並び輪郭の美を極めていたが、戦災を被り烏有に帰す。

明治五年五月村社に列し同八年八月縣社に列せられる。
現在の本殿は、昭和二十八年十月尾張徳川家より藩祖義直公の正室高原院殿(春姫)の霊廟〔慶安四年(1651)建立〕を移築し社殿とする。
昭和三十五年県重文に指定される。

祭 典

四月執行の大祭は家康公三回忌に当たる元和四年より斎行せられ、翌五年社殿を創建し六年初めて御旅所を、若宮八幡社の北に設け、同年四月十七日神幸の儀を行い、寛永七年(1630)に至り朝廷より楽人を招き路楽を奏し、後に十三人の楽人を置き、十六日には此れの楽人により神前に舞楽を奏するのが例となった。

十七日には神幸の儀が行われ、神輿を始め山車九両を列ね供奉総勢六千八百余人にも上り、名古屋祭と称して代表的な祭礼であったが、山車は戦災により悉く焼失せり。

現在は四月十六日午後三時、神社神事の前日祭に続き境内特設舞台にて午後五時より一般観覧無料の舞楽奉納神事が、 四月十七日には神社神事の例祭が行われております。

境内広さ

  • 1030坪(3400㎡)余り

建 物

  • 本殿(四方寄棟造り)、唐門、透塀、(以上県重分)
  • 御神輿庫、宝物庫、手水舎、雑庫、社務所、会館、物置。

神 宝

  • 東照宮御冠、御笏、御装束、東照宮神像、東照宮縁起五巻、和歌(直筆)此他数十点

崇敬者

  • 名古屋市内全般にして氏子なし
  • 東照宮社務所 052-231-4010

末社・福神社

御祭神 (大国主命・事代主命) 当宮末社福神社に奉祀致します

大国主命即ち大国(大黒)様に東照公御在世の砌(みぎり)、深く大国様を御信仰になり、天海僧正(慈眼大師)をして一刀三礼を以て彫刻致しました尊像であります。

後に名古屋開府に当たり初代藩主徳川義直公(家康公第九子)に賜り守護神として崇敬され元和五年当宮創立に際し相殿に御奉祀申上げたのであります。

特に申上げたい事は、此の大国様は腰に両刀を差し、両手に玉を抱えたお姿であります。これは邪を斬り悪魔を払い玉の如く円満なる大慈悲心の表現であります。清浄な心真実の心を信仰致されれば必ずや神明の感応疑いありません。

大方の諸賢宏大なる開運福徳の御利益を賜らん事を御祈願ください。